お盆明けなのに連日の猛暑です。 なぜかこの時期は気温以上の割増しを感じますね。
そんな中で、一般的なお家の2倍以上の断熱材を使用しているとお客様だけではなくプロの方からもよく聞かれます。
「こんなに断熱材が入って夏は暑くならないのですか?」と・・
決まってこう答えています。
「確かに室内で発生した熱が逃げにくいのは事実ですが、夏場は窓の開閉で朝晩の涼しい風を取り入れることもできますし、
時間帯によってはクーラーに頼ることも必要です。しかしクーラーの効き目は抜群ですよ。
そして何よりも断熱材が灼熱の太陽ほどの熱から守ってくれているという効果を考えると夏場の効果も大きいですよ。」と・・
そうは言ってみても、温熱感覚というものは実際に体感してみないと分からないものです。
そうです! どんな理屈よりも朝から晩まで現場にいる職人さん達の声に勝ものはないのです!
こんな過酷な時期だからこそ分かることがあるのです。
「現場に勝る雄弁なし」、現場の大工さんに聞くことも大きな安心につながるものですね。
ニュースを見ていると、やはり夏は「涼」を求めて避暑地に行かれる人が多いようです。
今年に関しては「特別な夏」ということで行動も限られていますが、ちょうど一年前の今頃を思い出していました。
昨年のお盆は大きな台風が列島を縦断し、空の便も欠航が相次ぐ中を私達一家は熊本県の菊池渓谷に行ってました。
決して観光目的ではありませんでしたが、たまたま空き時間ができ、せっかく来たのだからという軽い気持ちで向かいました。
その日は台風の余波の影響で気温が上がり風までも暑く感じるような日で、私達はレンタカーで山深い道を走りたどりつきました。
車から出て駐車場を横切り、苔のついた階段を深く下りて行ったその場所は自分たちの想像を遥かに超える別世界でした。
とにかく「気持ちがいい!」
はるか頭上の高木は直射日光を遮るだけではなく、程よく光を取り込み川底まで見えるきれいな水面がキラキラと光る。
上流から勢いよく流れ落ちる水しぶきとひんやりした風は、マイナスイオンMAXのまさに「究極の天然クーラー」そのものでした。
「究極の涼」に身心共にリフレッシュしながらも、夏場の室内環境づくりへの大きなヒントがこんなところにあるのではないかと興奮だけは冷めなかったような気がします。
(ここまできてまで仕事のことを考える必要がないのになぁと思いつつも・・)
季節によって早朝のランニングコースを変えるようになった。
いつもは人通りや車を避けた場所を選んでいるが、夏のこの時期だけは違う。
向かう方向は、普段は車でもめったに走ることがない旧道沿いの集落だ。
そこには古くからの農家が立ち並んでいる。
杉や欅の木に囲まれた大きな屋敷に、入母屋造りの家、米蔵、納屋がある家が多い。
それぞれの手入れの行きとどいた畑には、ナスやトマトなどの季節物が生り、ひまわりしか名前が分からないが
赤や黄色の鮮やかな花がみごとに咲いている所もある。
地面が蒸上がってくるような空気に農機具小屋に染み付いたオイルの匂いが入り混じったような独特の匂いが、どこか懐かしい。
育った場所ではないのに、自分の中で少年時代の記憶や感覚が鮮明によみがえるような錯覚が好きでその周辺を走るようになった。
ある日のこと、そこを通過しようしたとき田んぼ越のはるか向こう側にカラフルな新興住宅地が目に入ってきた。
新しい場所があるから古い場所が懐かしく感じるのだろうかと思いつつも、家を造る自分たちの仕事が街並みを造っているという責任をあらためて感じた。
家は街並みを造り、街並みは地域の美しさを造る。
地域の美しさが「懐かしさ」という決して形には現れないものを創ることを決して忘れてはいけない。
明け方のランニングが欠かせない。
書き出しからかっこをつけてみたものの、実はほぼウォーキングに近い・・
朝起きて、冷たく澄んだ空気を胸の底いっぱいに吸う、背中がほんのり汗ばむだけで
一年間ほとんど風邪もひかなく過ごせるようになった。
コースはいつも同じで、家を出て幹線道路を横切り、河川敷の堤防へ上るとそこには
豊かな田園が広がり、桜並木の向こう側に鳥海山を望む、見事なロケーションだ。
地元のみんなは何も無いというが、とんでもない、こんなに美しい自然があるではないか!
朝の静寂は日々、色々なことに気づかせてくれる。
雪解け水や風の音、鳥や虫の音、温まった土の匂い、草花や稲の生育、思いがけない小動物との遭遇・・
季節を感じながら、そんな毎日の小さな発見に喜べることに幸せを感じるようになった。
必要なのは、30分早く寝ることとランニングシューズだけ。
コスパの良さも大きな魅力かもしれない。
素材について大まかに考えてみたい。
自然(天然)素材に対して人工的な化学素材、どちらが良いのか白黒をつける気など毛頭ない。
はたして今の時代、木で造る家に釘や接着剤、化学建材を一切使っていない家があるだろうか、無添加、無農薬の食品だけで生きている人はどれ程いるだろうか・・
天然素材だけで化学繊維に一切頼らない衣服で身を守れているのだろうか・・
利便性、経済性、環境保全の観点とそれぞれの角度で見れば、どんな物にも理由は存在する。かといって「清濁併せのむ」ともニュアンスがまた違うような気もする。
人が暮らしてゆくうえで、環境、経済活動、機能や使いやすさ、この3つのうちのどれか一つだけが勝っていてもいけない、それぞれの利が少しずつあって、それぞれが相互に作用して良い循環を生み出すことが理想的な着地点ではないだろうか。
何も難しく考える必要はない、何が正しいかではなく、そこに何が合っているのかを見極めてゆきたい。
そして何よりも忘れてはいけないことは、いつまでも愛着を持てる素材であることだ。
2015年11月末、チューリッヒ空港から電車で30分の街、フラウンフェルトの駅に下りた。
辺りの飲食店の電気が消え始めた頃で、気温の低い空気の乾燥した冬空だった。
その日は、翌日から始まる建築視察スケジュールに備えて、最寄りの宿にチェックインした。
フロントからカギを受取り部屋に入る、年数は経っているし、特に目を引くインテリアでもないが十分な部屋だ。
長旅の疲れもあってかその日は直ぐに眠りについた。
朝目を覚まして、ふと不思議な感覚を覚えた。
あれっ、この部屋って決して温かいわけではないのに全く寒さも感じない、日本のビジネスホテルでは寒さで起きたり、空調で乾燥したりして起きるのにまったくストレスを感じさせない、何が良いのか分からないけど温・湿度的に体が楽と感じられる感覚だった。
部屋を見渡してみると、古びた鉄製の窓の下には年代物のパネルヒーターが1台設置されてあった。
手をかざしてみたら体温にも満たない程の温度の熱源、それが初めて体感したヨーロッパの低温水暖房だった。
温熱環境を教えていただいた師の言葉を思い出した。
「日本には、本物の暖房空間を理解している人はまだまだ少ない」と・・
朝晩霜が降りまだ固くつぼんでいるものの、桜の蕾がだいぶ大きくなってきた。
時期がくれば確実に花は開く・・・
いよいよ今年も新人が入ってくる季節を迎えた。
社会人としての第一歩に我が社を選んでくれたこと・・手塩に育てた我が子を送り出す親御さんの心情を想うと、自分たちもこれまで以上に頑張ろうとフレッシュな気持ちになる。
ずいぶん前の話になるが、大きな規模の庭木市で苗木を選んでいたときのこと。
たくさんある中からどれが良いやら悩んでいると、店主から「根本からすくっと真直ぐに伸びたのがいいよ!」と一本を差し出された。
その苗木を購入にて大事に持ち帰り、庭の陽当りや水はけの良い場所を選び植えた。
土には養分が必要だが肥料を与え過ぎてはいけない、根が張るまでは添え木も必要、成長につれ樹形を活かしながら枝の剪定を行う。
そうか、今となってようやく気づく・・植物も人間も同じなのだと・・・
いつか、葉をつけ花をつけ、周囲に良い影響を与えるような大きな木となれるように、お互いそんなふうに成長してゆきたいものです。